S.I 氏 からの第二の便りを開封する前に
S.Ⅰ.氏からの第二信を手にして十日ばかりが経った。こんな季節に大徳寺の塔頭・高桐院を訪れるのも悪くはないと思いながら、鮮やかに咲くかきつばたや紫陽花の花に、驟雨に濡れる心の欝(うつ)を晴らしているうちに、封を切らないまま時は過ぎていた。
忘れた訳ではない、忘れた振りをしていたからでもない。この季節、更に欝っとおしい気分になるのは真っ平だというだけのことである。あたら S.I という人物に好奇心を抱き、僕にしてはいささか真面目な返事を出したのが拙かった。後悔しても始まらない。所詮、気まぐれな虚栄心だろうが後始末はつけねばなるまい。面倒ではある。だがよくよく思いなおしているうちに僕は極めて単純なことに気が付いていた。この御人は多少ずれてはいるが、どこかでそれも可なりデリケートな部分で、僕の中に潜んでいた何かと触れ合う所があるということだ。追々解ることにはなるのだろうが、彼も似たようなものを感じている。・・・そうだ、彼はしきりとごくに会いたがっている。僕から言えば、それが嫌が応でも斑鳩の中宮寺・菩薩像に的を絞られそうになるだろう事が鬱っとおしく思われるのである。話題を他に逸らせばよい。
或いはこの季節、太秦の弥勒菩薩や竜安寺を回って高桐院の庭で寛ぐのも悪くはない。かえって楽しくはなりはしないか、何はともあれ彼がどうしても僕と会いたいと云うのであれば、これは妙案かもしれぬ。綺麗な女に気を使い、あとで寂寞を味わうよりはまだいいだろう。
僕は封を切ることにした。
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