Sculptor Eiji Nitahara

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見知らぬ人の手紙から 「優艶」Ⅰ.

かなりの月日が経って、見知らぬ人からの便りがあった。僕の見たあの忘れ難い“幽艶 の夢“の噂を、
人伝てに耳にしたからであろう。思えば大和路の、寂れた定宿の外れの部屋に
 
欝欝としていた夜、話し好きな女将を相手に、つれずれなるままに語ったことがある。それが
 
多分、噂の発信源になったに違いない。
 
便りの主人公は、本人が文面で告白する様に、確かにこの国の学究としては研究対
 
象への思い込みもいささか尋常ではなく、それだけに学問の求める客観性や中庸な表現をすら危うくする様なこともあったのではと思わせた。それと同時に僕には、文面に漂う人生の寂寞といといった様なものがどこか悲哀を孕んで妖しく伝わってきた。その彼が僕に会いたいという。訳け あってのことだろうが会ったところで何になろう。他人の魂の慟哭に耳を傾けることになりはしなないか。あたら彼が美や美術を人知の俎上に供して生業としてきた人だけに、精神や魂の不可知な知の部分に救いようもない亀裂や分裂を生じていて、僕は、その割れ目から溢れ出る血涙を見ること ことになるのでは、精神の寂寞に吹く風に僕の心まで晒すことにもなりはしないのか。それが思い過い過ぎであればそれはそれでよい。そうであってほしい。
 
とまれ彼が魂の在り処を美に求めてその生涯を貫いてきたのは確かなことである。そして学問と魂の間のどこかで辻褄の合わなくなった人生を、最後に彼が恋慕するに至った仏像形象の美の生命と、人間情念で結ばれ合体することで完結しようという気配なのだ。なにか危なかしいものが感じられて仕方ない。いや危うい。突然浮かび上がってくる言葉があった。・・・“美は人間に残酷である”・・・。
 
彼が若しその美の残酷に出会うだろうならば、それを冷酷な裏切りと受け取るかも知れないのだ。・・・それでもここは楽天的に考えることにしよう。・・・彼に会うべきだろうか、僕は見知らぬ人からの手紙をもう一度読み返しながら短く返事をしたためることにした。
 
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彫刻家二田原英二公式ホームページ