魂の死と再生のドラマについてふと想い描いていたが、それを、生きる上で人間の心が意識下に自然に求めているからだとするならば、「美の形象」を求める無我な心の働きには、それを意識の位相に汲み上げ表象化しようとする何かの力があると思われる。先ずは美のアルケーに近ずこうと欲しているのかもしれない。
美に傾く心の性(さが)、そこから生じるヴィジョンに形を与える行為こそ、命あるペルソナ(人間)の魂の生死の淵からの再生を希求する根源的性質であり、人間の生に潜む本来常態だと思えてならない。
命を授けられたペルソナは既に原初からその状態に従って死と再生のドラマを繰りかえしてきたのではなかったのか、僕は今、これと同じ様な働きが宇宙自体に内在しているのではないのか。つまり宇宙それ自体がいわばペルソナの様な存在であり、美を求めるヴィジョンを投影しながら死と再生のドラマを繰りかえしてきたのではと思われてくるのだ。不思議なことだが、こうした感想を抱くのは、今朝方、夢まどろむ中で僕はある非現実の夢の世界で強烈に生きていたからだ。
目が覚めて僕はひどく疲れていた。にもかかわらず心は霊妙な浄福感に満たされ、言いようもない安らぎに包まれていた。・・・その夢の風景についてはしばらく措くことにしよう。
抒庵