朝方、薄明に目覚めていた。流動する想い、軽い思考、寝返りをうつ眠りの中で一晩中続いていたらしい。額に冷たい汗、夢が考えていたことが少しずつ判っきりしてくる。
現実では生と死の、または生から死へ旅するドラマのように展開していく。ところでユング流に云う集合意識では死と再生の、又は死から再生へのドラマが語られている。僕は多分、後者から出発して創作してきた様に思える。このことについて人は何やら現実逃避とか、何かの失意、絶望の表白ではという言葉で消極的な説明を加えようとする。だがこうした説明では充分ではないし、当を得ているとも思われない。生まれた時からすでに死せる運命を定められた存在としての人間の観念をどうしても拭い去るわけにはいかないのだから、現実では不可知なものとして死への怖それを抱きながら生を生き、もうひとつの世界(意識下)では再生への憧憬を抱きながら不可知の死を何か可知なるものに変えるヴィジョンを追いながら走り抜けてきた。それは多分「美」の原型形象へ向かっての憧憬であるとも言えよう。或いは、再生の儀式「セレモニー」と言ってもさしつかえないだろう。
抒庵