宇宙(人間、自然を含めて)とは何か目的的存在なのか。その始原、目的、存在理由を人の心に問いかけてやまない。それは心自体の本来の運動であり性向であるに違いない。
さてもこの宇宙と人間をめぐって起生するこうした問いかけを投げかけている存在、隠れた意志とは何であるのか、人間の心も又、宇宙存在の中に組み込まれているとするならば、宇宙自体が人間の心を透してその答えを探し求めているのだろうか。宇宙全体が全ての存在の創造主を探し求めていることにはならないのか。
人間の心が宇宙に向かって開かれるとき、「人間自体は何かによって愛されている」と深く感じないわけにはいかない。心はそうした直覚に明哲を与えよう働く。その「何か」に向かう心の動きは、形而上学的概念に移行せざるをえない。言葉のみならず心の動きは形象による美しい表象に結実しようとも働く。「何か」に愛されていると感じる心の波動が、その「何か」を美しい表象としてイメージする所に不思議も驚きもあるのだ。そこはかとなく宇宙ナルシスムの香りが漂ってはこないか・・・
抒庵