Sculptor Eiji Nitahara

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「2009 ~2011年作双立の彫像」:「"Fuga"」・「"Paths e Sia!"」完成に至る思念の旅

         ・・・かってシチリアの旅の一日(⁂ 1962)、蓮華の花の咲き乱れる春先の岬に座っていると、ふと目の前に一本のオリーヴの樹があって、断崖の端にへばりついていた。樹は痩せて瘤だらけの枝を紺青の空と海に向かってさしのべ,葉はまだらに白銀に輝きわたっていた。私はその姿にすっかり魅せられてしまっていたが、その時激しく胸を貫くものがあって、何故か切に心に想い立つものがあった。――<パトスとは不滅の美への揺るぎない意志、しかし、オリーヴの樹は虚ろい滅びる時を逃れることはできない。それ故にこそパセティクなギリシャの劇は・・・>-芽生えていた想念のなかで、その朝、朝焼けの翳りの中で視たセジェスタの神殿がオリーヴの樹と重なり合っていた。それは私にとってある確かな意想への門出でもあった。あの時から、かなりの歳月が経っている。・・・・(―1978年10月・初回彫刻展作者の言葉より抜粋―)

         ・・・燃えるような真昼の夕暮れ、僕は独りだった。地中海の空と海を深紅に染めるセリヌス(⁂シチリア島セリヌンテ)の廃墟は真っ赤に焼けていた。崩れ去った聖域の瓦礫の丘に、神殿(古代ギリシャ神殿)の十四のドーリスの柱が最後の形を留め、崩れながらも揺らぐことなく、夕陽に映えて堂々の姿勢で立っていた。僕は目も心も奪われ、我を忘れて視ていた。やがてそれは、直立して立つドーリスのクーロス像のように思われてきたのだ。すると<我はデルフォイのクーロス也。お前を待っていた!>、と海鳴りに似てそんな声が聞こえてくる。多分、海から吹いて廃墟に叫ぶ風の音だったろう。僕は崩れ落ちたドーリスの柱の脇に立っていた。・・・その時、僕はいつかここへきて一緒に並んで立ちたいと言っていた女の面影を堅く胸に抱きしめていたのだ!・・・啓介君、コスメアのその女性(ひと)がね、セリヌンテの三十五年前と同じドーリスの柱の脇に立って、僕を待っているのだよ。ひどく嬉しそうに楚楚として立っている。・・久しぶりだからね。・・おかしいかい? はっはっはっ!・・クーロス像ね。あの時、ドーリスの柱は燃えるように真っ赤に焼けていた。その柱の中から聞こえてきた声が、デルフォイのクーロスと同じ声だったのだ。<―ゼンノ、吾を見よ!不滅の美を求めるはパトス。滅びることがあろうと、傲然と立ち尽くすのだ!―>と、・・・

(―著書 「ナポリ・時の幻想」(2002・9・30 発行)より抜粋―)

忘却の古城瞑醒

流転の夢

暁天に永劫回帰の時を拍つ

今日、この詞をパルナソス山を背に立つデルフォイ神殿の柱に重ねて僕は視ている。言葉は静かに変容を繰りかえし二体の柱の形象となって、やがて彫像を顕わにしていた。

抒庵―E.N

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彫刻家二田原英二公式ホームページ