Sculptor Eiji Nitahara

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ヴェネチアの夢

         夕方、ヴェネチアの夢を見た。正確にはヴェネチアの夕暮れを描いた八十号大の油彩を旧知のE・K氏が僕に見せるために運んでこられたのである。少し快活に「N君」ヴェネチアの夕暮れの絵だよね」と微笑が語りかけている。絵はほぼ中央に沖に向かって独りの男が漕ぎ出す一艘の小舟、その行く手に遠い水平線のアドリア海がひろがる。舟も男も孤愁を漂わせているのは影絵のように黒い墨色で表わされているからだろう。大運河から出てリドとアドリア海を隔てる防波壁の真中にアーチ状の水門が開いていて舟はそこを指している。

   大運河の左手に連なる家屋。右端にも少しだけ、水も建物も暮れようとする夕陽の中でヴァーミリオン一色、そのヴァーミリオンの朱赫の画面の下地はかなり厚く、しっかりと黒絵具が塗りこめられているらしく、それがヴァーミリオンの輝きを重々しいものにしている。

   朱赫の水面に朱赫の建物が影を落としていて、画面上部に当たるアドリア海の空と海は、水平線を挟んで黄金に輝いている。その時僕は呟いた。「一体なんだろう、これは。窓が一つもない。しかもヴァーミリオンと黄金の輝きだけではないか。ただひとつ陰影のように浮かぶ人と舟、閉ざされた窓」

   夢から覚めてその呟きが鮮明に残った。呟きの言葉を繰りかえししているうちに、その言葉は刻まれた呪文となって、このヴェネチアの不思議な夢は何か特別に意味を孕んだもので、いつか僕の運命に大きく係わるものの様に感じられてきた。運命そのものであるとすら想われてきた。自己暗示かも知れない。が、呟きと共に浮かび上がり脳裏

に繰りかえし現れる夢のヴェネチアは益々その姿を鮮明にしていく。僕はあの夢に見た描かれたヴェネチアの夕暮れを幾度ともなく見ている。その度に全体のイマージュハ益々刻明さを増しながら深くなって行った。

   アドリア海の空と海の彼方に展がる黄金と朱赫、その水平線を目指して大運河に浮かぶ黒影の船、孤愁を帯びる人影、黒影は輪郭で形を定められているのではなく茫とした趣で沖へ向かっている。遠い水平線の海と空の間に明白な境はなくただ黄金の輝きが朱色一色の海のその部分からあふれ出し無限の帯のようにひろがっている。その黄金の帯に向かって舟と人の孤影はゆっくりと漕ぎ出している。いつかは沖合遠く進み遙かなる大海の中の一黒点となって、やがて黄金と朱の帯の中に溶けて見えなくなるだろう。

   朱赫も黄金もこのようにしてヴェネチアの黒影や孤愁を、闇の世界に属する全てを、遙か昔から呑み続け溶解してきたに違いない。空と海の間にひろがる黄金の輝きは、こうして今迄に溶解してきた無量の黒影と闇から創りだされている何かであるように。

    ヴェネチアの夢は呟く、「黄金は闇を呑み、光は黄金に生まれる」。

                                   抒庵

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