五月の朝の緑は官能の触手を体の隅々まで広げていく。喜悦に震える心、ふと頭をよぎる想い。官能の瞬間々々が生起しながら時の流れを追っていく。どこで消滅するのだろうか。そしてその瞬間の一点とは何なのか。去る時と来る時をつなぐ一点。重々しい程の官能の一点は確かに持続している限り実存する。無数に存在する。が一点は目に見えるわけではない。又紙の上に、空間に物として形として証するのは暗喩でしかない。物として形として非在なのだ。だが僕の肉体は在る。これは一点でも瞬間でもない時間の流れの中で連続して在る。物として形として在る。だが官能も生命のようにそれとは別に物質を媒体として顕現するあの一点、あの瞬間、そして時間の流れの中で生起し実存する。物質として非在そして実存し連続する瞬間、その物質としての肉体の存在も時間の流れの中でいつまでも連続して在るわけではない。生命の実存する一点であるのを証するのは正にそのためである。それ故にこそ肉体は与えられたのである。肉体も感覚も生命と官能を暗喩する。時間の流れの中で瞬間や零点が実存するように。
抒庵