1931年から1945年「昭和20年」まで
*幼少期の記憶・出生と環境・・・筑後の小都市久留米、その自然と文化:「櫨の紅葉」に象徴される筑後の情念、その情念を秘めた画家、詩人の輩出(北原白秋、青木繁、坂本繁二郎、古賀春江)等・・・当時の童謡と唱歌そのままに展開する自然環境。
*造形形象への目覚め:それは・・・浴場に描かれた富士山、軍艦の雄姿、飛行機。
1941年(小学校4年)太平洋戦争勃発、-1945(旧制中学2年)敗戦に至るまでの目まぐるしく変貌していく世界、我慢と忍耐を強いられる生活、空腹、最後に空襲そして廃虚、それでも決して失われることのない少年のユーモア。
*優れた教師達(母校の中・高)に恵まれて、
*貧窮の中で音楽、演劇、読書への熱中(ヘルマン・へッセ、ゲーテ、リルケ、スタンダール、バルザック、ショーペンハウエル、二―チエ、パスカル等)
*空腹、友と夜空に煌めく星々を見上げては:「それでも、生きていることは涙がこぼれる程に愛おしい!」と呟く日々。
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*夏の黄昏の夕べ、廃虚の中で出逢ったチャイコフスキー「悲愴」、パセテックな情念の目覚め:果てしない悲哀に包まれた絶望的消滅感・・・奏でる存在の虚無感は魂の底に棲みつき、それをほとんど完全に消し去ってくれたのは、1963年のマグナグレイキアの古代ギリシャ遺跡を求めて南イタリア・シチリア旅行、そこから更に25年の歳月を経た1987年のギリシャ旅行であった。
その二度の旅で、古代ギリシャの遺跡を透して「古代ギリシャ精神の真髄」に触れた時のことを少しだけ触れておこう。このことはその後の私自身の生き方、創作の姿勢に深く関わるからである。
「死すべき運命」を背負った人間の、(これは古代ギリシャ人の人間存在に関わる基本的な認識である)・・・神々と競い合った古代ギリシャの雄渾でとてつもない忍耐に満ちた精神の実体に触れたとき、その時「パトス」の意味自体が私の中で大きく変わっていきます。
人間の存在それ自体を真っ向から問い直し、それの指し示す地平の彼方に向かって微笑みながら立ち上がり立ち向かっていったヘラス人(びと)の不動の姿勢、やがてその二百年の歩みの後に到達した恐るべき美の形象、パルテノン神殿とその彫刻に出会ったときでした。すべての始まりは自信に満ちて静かに立つアルカイック・スマイルと呼ばれる彫像の微笑む姿にありました:「私も又、その様に地平の彼方に向かって歩みを進めよう」と、
以上、プロローグとして僕の彫刻家としての精神の成り立ちを散文的に簡単に語ってみました。