問:「貴方は何故、彫刻をおやりになっているのですか?」
答え:私は、彫刻を生涯の友として生きようと決心したのです。いや、若しかしたら彫刻が私を捉え、今日を生かされているのかもしれません。
問:「生かされている」、とはどう云うことでしょうか?
答え:それによって限られた人生を生き抜く意思と勇気が与えられるからです。私にとって人生とはこの、地上に生きている意味を求めての終わることのない旅だからです。そのことによって私は人間を超えた「沈黙の声」に耳を傾け、それが啓示するサムシングに美の形象と言葉を求めることが出来るのです。造形言語を紡ぎながらの表現者の旅です。此の世を生きる人間とは所詮、「現実」と「沈黙の声」との間で揺れ動きながら時間と空間を旅する存在ではないのでしょうか?それは時として陽炎の存在にも似て頼りなく・・・。
ある沈黙の啓示: (あえて言語表現の矛盾を超えて謂うならば・・・)「時は生命(いのち)と共に無より生まれ、生命は時と表裏をなして存在し時と共に再び無に還る。無は存在であり、存在する無」